L.ロン・ハバード

L.Ron.Hubbard

L. ロン ハバードは、二〇世紀の最も影響力のある作家のひとりとして幅広く称讃され、彼の作品は世界中で一億六千万部以上売られてきました。ダイアネティックスとサイエントロジーの創設者として彼が行った哲学に関する画期的発見により、世界中の人々は自分自身と他の人々をさらによく理解できるようになっています。

彼はこう書いています。「人生を知るためには、人生の一部にならなければいけません。そこへ行って、見てみなければいけません。存在の隅々にまで入り込まなければいけません。あらゆる種類の人間と直に触れ合わなくてはいけません。そうして、最終的に人間とは何かということを見定めることができるのです。」
長い間、果敢に知識を探求することによって、L. ロン ハバードはまさにそれを行ったのです。

人間の心に対する彼の飽くなき好奇心に初めて火がついたのは、彼が十二歳の時でした。その時彼は、ジョセフ・C.トンプソン中佐のもとで勉強しました。彼は、初期の精神分析の研究者であり、ウィーンでフロイトとともに研究を行った最初の米国海軍士官でした。最終的にロンは、フロイト派の理論を実利的ではなく効果のないものとして受け入れませんでしたが、にもかかわらず、彼は一つの重要な結論に至りました。「心について何かを行うことができる」ということです。

南太平洋からアジアにわたって研究を続け、ロンは中国の西部丘陵地帯にある神聖なるチベットのラマ教の僧院に入ることを許された数少ないアメリカ人のひとりとなりました。さらに、フビライ・ハンの宮廷出身である王室魔術師の最後の人物と研究を行いました。しかし、名高い東洋のあらゆる知恵を結集しても、ひどい貧困とこの上もない失望の痛みが山積みされていることを知り、このように結論付けることしか彼にはできませんでした。「白かびの生えた本の中に閉じこめられた学問は、誰にとってもほとんど役に立たないもので、もしその学問を使うことができないのであれば、それには価値がない。」

合衆国に戻った後、ロンは次にジョージ・ワシントン大学で工学と数学と原子物理学のコースで研究を続けました。それらすべての研究は、後に彼が哲学に関する研究を行う間ずっと役に立ったものでした。実際に、L.ロン ハバードは心と魂の研究に対して厳密に西洋の実験に基づく方法を採用した最初の人であり、人間の記憶装置、美学の性質といったさまざまな主題に関する研究を大学で始めたのです。しかし、基本的な方法論とさらなる研究に対する基準を超えたところで、大学が本当の答えを提供することはなかったのです。実際に彼は後にこう書いています。「明らかに私は、これまで触れ合った中で最も原始的な種族よりも心について知らない文化を扱い、その文化の中で暮らしてきたのです。」 続けて、彼はさらにこう言及しています。「たくさんの調査をしなければならないということを私は知っていたのです。」

その研究にはさらに数十年が費やされました。そして彼の実験室は世界でした。十分な「研究費」を手にすることができず、その費用を小説家として認められることで賄っていたロンは、太平洋北西部に住むインディアンの部族、フィリピンのタガログ族からプエルトリコの丘陵民族まで、二十一もの原始民族と文化について研究を行いました(その結果、今でも一流のニューヨーク探検家クラブの名簿に彼の名前が残されています)。

第二次世界大戦によって研究は中断されることになり、その戦争は人間の心に関する実際の技術を発展させるのにさらなるはずみとなりました。最初の手順は北カリフォルニアのオーク・ノール海軍病院で試されました。当時そこでは、海軍大尉のL.ロン ハバードが戦闘で受けたけがの治療を受けていたのです。彼の研究の例となったのは、以前日本軍の強制収容所の捕虜だった人たちでした。いわば医学がさじを投げたも同然の人たちだったのです。しかし、新奇なダイアネティックスの技術を用いてロンが治療したそれらの人たちひとりひとりが、即座に全く目を見張るほど健康を取り戻したのです。

平和が回復してロンは、人生のあらゆる領域にいる人たちを対象に、ダイアネティックスの効果のさらなるテストに取り掛かりました。十分にダイアネティックスを唯一、実践的で効果のある技術に発展させるため、彼は何百もの手順をテストしたのです。

一九四九年に、彼はそれまでテストした何年かの間に集められた何百ものケースの履歴から書かれた原稿を集めて、基礎となる理論と技術の二つを成しました。その原稿は医学界と科学界に配布され、その後、頻繁に複写されて支持する人たちに渡っていきました。そのようにして、ダイアネティックスに関するロンのオリジナルの論文はすぐさま世に広まったのです。今日、その論文は『生命のダイナミックス』として出版されています。そしてその作品に続いて、一九四九年の末に、探検家クラブ・ジャーナルに「未知の国 心」というタイトルで記事が掲載されました。

さらに多くの情報を求める読者からの要望があまりに大きく、それに応えるためロンは次に、その主題に関する明確な教科書を書き上げるように求められました。そのため1950年の初め、彼は『ダイアネティックス』という作品を手掛け始めます。同時に、『ダイアネティックス』を広く読者に紹介するために、そして、出版への前置きとして、ロンはさらに本一冊分もある長い記事をアメリカの全国誌に寄せています。彼が発展させてきた軌跡を詳しく説明し、普遍的な適用を概説する『ダイアネティックス 科学の進化』です。その雑誌は1950年の4月に街頭の雑誌売り場に並ぶや否や、事実上、第一線で活躍するあらゆるエンジニアと物理学者によって読まれました。当然、『ダイアネティックス:科学の進化』はアメリカ合衆国の科学界全体を実際に震撼させることとなったのです。

これに続く『ダイアネティックス』の発刊は、出版の歴史において画期的な出来事になり、幅広く読者の関心と称讃を得ました。その作品はすぐに、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストのトップに躍り出て、何週間も続けてその座に留まったのです。その作品は以来、歴史上、人間の心に関して最も幅広く読まれ使われている本となっており、およそ二千万部が出版されています。

今日では、ダイアネティックスは世界的な現象となっており、150ヵ国以上、50以上の言語で、数百万人の人々によって利用されています。

人間、心と精神という主題に関するL.ロン ハバードの作品は、何巻にもなる書籍、原稿、そして三千を超えるテープに録音された講演という、何千万もの言葉から成り立っています。

ロンの技術の奇跡的な成果、そして彼の遺産を二十一世紀へと運んでいく、世界中の何百万という友人たちが、彼の先見の明に対するこの上ない証明です。そして、これらの数は、日ごとに増え続けているのです。

「私は他の人たちを助けるのが好きです」と彼は言っています。「そして、人が人生を曇らす影を取り払うのを見ることは、私の人生における至上の喜びであると考えています。」
「それらの影は彼にとってあまりに濃く見え、また重々しくのしかかっているため、彼はそれらが影であり、それらを通して見ること、通り抜けること、そして再び太陽の下に出ることができるとわかった時に歓喜するのです。そして、私も彼と同様に喜びを感じると思うのです。」


      

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